イニシエーション [1話 グリとグラのお話]

1話 グリとグラのお話

 

これからグリとグラのお話をしてみようと思う。絵本の中にいる可愛らしいぐりとぐらではない。絵本の野ねずみの兄弟たちは、いつでも無邪気で好奇心いっぱいに驚いてみせて、きみたちをほんわりとしたキモチにしてくれるかもしれない。でもこちらの世界のグリとグラは、そうはいかない。神さまはいるのかいないのかわからないけど、ぼくたちにそんな生やさしい環境は与えてくださらなかった。

 

生まれたときからゾンビのような敵たちに囲まれ、死にものぐるいで逃げたり立ち向かったりしながら、なんとか生き延びてきたのがぼくたちだ。ドブネズミとかハリネズミとか表現してくれてもいい。そんな風に呼ばれたら、ぼくのグリはきっと喜んでくれると思う。表面的には気に食わないそぶりをするかもしれないけど、内心喜んでる様子がぼくには目に見える。

 

ぼくは基本的に弱虫なので、逃げまわってなんとかやってきたタイプなのだが、グリは勇敢にも大勢のゾンビを目の前に立ち向かって生きてきた本物の勇者だ。しかもクラスで一番か二番目に背が低いという不利な体格を持っていたにもかかわらずだ。それでもグリはぼくみたいに弱音なんか絶対に吐かなかったし、ボコボコにされようが半殺しにされようが、一度も「ごめんなさい」なんて口に出さなかった。

 

 

強いグリと弱いグラ。全然タイプの違う血のつながってない兄弟であるぼくらの出会いは、10歳の頃だからちょうど10年前になる。もうそんなになるんだね。早いものだ。トラブルメイカーのグリが巻き起こす数々のおかしな大騒動のおかげか、いい意味でも悪い意味でも人生の前半戦より後半戦の方が4倍くらい長く感じる。ぼくらの友情というか腐れ縁のはじまりは、忘れもできないぼくんちで起きた悪夢、トラウマ的大事件が起きたことによって、生まれ育った工業地区から、センター部(ハイテク地区とも呼ばれる)に引っ越した時にはじまる。

 

工業地区でもそうだったが、センター部でもやはり、やり方は違うが新参者は狙われる。引っ越して一週間もたたない内に、ぼくはクラスの中で権力を握ってると思われる5人のメンバーに戦争ごっこに誘われた。

 

中心人物は金持ちボンボンで、子どものくせにピアスを付けたりしている。親父に買ってもらった高そうな品々をわざわざ学校に持ってきて、みせびらかしてるわけなじゃいけどねって感じでみせびらかしてくる、実に嫌らしいタイプのガキだ。工業地区なら逆にいじめられっこの部類に入りそうな奴だが、土地が違うと感覚も違ってくる。

 

そいつはまわりにフランケンシュタインや狼男やダンボといった怪奇キャラを、アクセサリーのようにつけて歩いてるわけだが、こっちはリアルに強そう。ぼくは断るに断れず、奴らに指定されたジャングル広場に集まった。どっちにしたってやられるに決まってる。それなら万に一つの可能性にかけて、なんとか気に入られて仲良くなる方向に賭けてみよう、とぼくは思った。

 

奴らが持ってるような高性能なおもちゃの銃を、ぼくが持ってるはずはない。しかたねーなとボンボンが、箱に入ったガンコレクションから一丁貸してくれた。そしてグーパーでチームを決めることになったのだが、ぼくだけグーで5人はパー。ハメられた。

 

はじめて足を踏み入れた右も左も分からないジャングル広場が戦場となって、あらゆるところから攻撃を受けることになった。つまずいて転び、このままだとやばいと思ってうずくまった。だけど降参は許されない。子どもというのは、容赦なくひどいものだ。弾はやむことなく飛び続けてきて、これが死ぬほど痛い。しまいには卑怯者のチビザルが幼稚園生みたいに砂を投げてきやがって、反則も何もなくなった。なし崩し的に興奮した5人によってたかられて(前戯の戦争ごっこは必要なかったみたく)、ぼくはボコボコに殴る蹴るされる運命になった。どうしたんだよ、おい、もう終わりかよ、根性見せろよ、工業地区からきたんだろ、云々。

 

そこに待ちに待ったヒーローみたいに丘の上に現れたのが、われらがグリ。おたけびとともにマシンガンを奴らにぶちまけると、みんな恐れおののいて一気にバラけた。しかしそれでグリが許すわけはない。標的はボンボン坊やで、執拗に追い回すと、髪につかみかかってひきずり回し、ロープを使って首を吊らせようとまでする。4人が近寄ってきて、「ごめんなさい。ごめんなさい。もうしませんから」と情けない声で助けを求めてきても気にする気配は一向にない。ボンボン坊やは首を絞められ、グロッキーで声もでない状況。結局フランケンが仲介に入って(さすがのグリでもフランケンとタイマンしたら勝てるはずがない)人質の坊やは解放された。戦争が終わると、5人は一目散に逃げて行った。あんな光景、マンガでしかみたことない。

 

そしてみんなが帰った後、ボコボコに暴行を受けて倒れたままのぼくに勝者のグリが近づいてきて言った一言を、ぼくは今でも覚えている。「ケガはないか?」だって。かっこよかった。少し声がしゃがれてた。かっこいい人だと思った、あの時は、本当に。

 

それからぼくらは自他ともに認めるマブダチになったわけだけど、グリの本当は第一印象のようにかっこいいわけでもなかった。クラスのみんなに確かに恐れられてる存在ではあったけど、どちらかというとマヌケな感じだったし、ウザがられていた。とにかく何に関してもとことんやるのだ。ケンカもとことん。遅刻もとことん。居眠りもとことん。万引きもとことん。さらには好きな子へのアプローチも遠慮なく、とことんしつこかった。そりゃいやがるよ。

 

そんなレベルの違うぼくらがどうしてマブダチになれたのか?それは思うに、どちらともお互いを必要としていたからだと思う。ぼくはひ弱なので擁護者を必要としていたし、グリは自分の身は自分で守れるけど友達がいない。自分の武勇伝を語れる人物をグリは必要としていた。そんな感じで僕らは無二の親友になった。

 

 

グリの話をしはじめると、ぼくはついつい興奮して止まらなくなってしまう。もうひとつだけあだ名のエピソードだけ紹介してストーリーに入ろう。

 

グリはなんでグリかというと、いがぐり頭だったからというのが定説だ。ぼくがはじめてグリに会ったときには、もうグリで定着してたから、真相まではわからないのだが、それ以外には考えられないと思う。実際グリは病気なのか自然なのかはわからないけど、生まれつき髪の毛がほんの少ししか生えなかった。一回「床屋に行く必要なくていいね」と言ったことがあったのだが、思いっきりぶん殴られた。しかも半端な勢いではない。大マジで友達のぼくに襲いかかってきて、その後ぼくは腕のとこの皮膚が完全にむけてしまって、病院まで行ったのだ!

 

それ以来ぼくの中ではあたり前だけど、グリの髪の毛についての話題は触れてはいけない禁句になった。同じような被害に会った人は、知ってるだけでも結構いる。はじめはみんな馬鹿にして「グリー!グリー」と言ってたのが、いつの間にか本人のお気に入りになったりして、あだ名として定着したんじゃないかと推測する。

 

そしてそんなグリの唯一の友達、パートナーということで、ぼくにはグラというあだ名がついた。この可愛らしいあだ名については、かなり気に入ってる。グリに出会うまでの10年間、ほぼ友達ができたことがなく、ひとりで生きてきたぼくにとって、それは十字架の前で祈り続けた切実な夢「ぼくにもともだちを与えてください」が叶った証明書のようなものだった。だからといって、神さまの存在を認めたというわけじゃないけれど。ねんのため。

 

 

さて、グリの話はいったんここまでにして、順序よく話を整えて語っていきたい。ぼくはこんな風に話を書くのは初めてなので、今度はぼくのくせっ毛のように、あちこち話が飛び跳ねてしまうのは喜ばしくない。

 

ぼくがこれから語る物語は、グリとグラが実際に体験した悪魔の川への冒険の旅、イニシエーション=通過儀礼のお話だ。今ぼくはある「静かな場所」でこの文章を書いている。早朝で通りはまだ静か。ぼくの足元には黒いラブラドール「グミ」が寝ている。冒険が終わってから、まだ(もう?)一か月しか経ってない。

 

なぜこのお話を文章で書こうと思ったかなんだけど、まあ、ある人に言われたのがきっかけだ。こんな貴重な体験できるもんじゃないから、今のうちに書き残しておきなよ、絶対誰かの役に立つと思う、と彼女は感想を述べた。絶対誰かの役に立つかどうかは保証できないけど、確かに面白いとは思うし、物事を考えるきっかけになってくれればぼくは嬉しい。

 

その物語を小説にして書き残すというアイディアは、日に日にぼくの中で大きくなって、書かずにはいられないレベルまで膨れ上がってしまった。まだじぶんで「テーマ」のような中心核をつかめているわけではない。だってあれからたったの一か月しか経ってないのに、人生をまるっきり違うものに変えてしまったあの偉大な旅の体験を吸収できるわけがない。ただその過程において、無意識深くにつながった何かが確実にここにあって、世界に向かって強烈なメッセージのようなものを投げつけようとしている、その衝動を今ぼくはここで感じている。

 

ここでなぜぼくが慣れないペンを握って(あるいは握らされて)ひとつひとつ丁寧に文を書こうとしてるかの裏には、ぼく自身がこうやってみんなと旅を追体験することによって、その「意味」を明確にしていく必要性があるからではないか、と現時点では思ってる。あまりにも抱えてるものがでかいため、気負ってしまって大げさな言い方になってしまうが、フー、まずは落ち着こう、気負にわずに、前へ進もう。

 

 

よし、オーケー、はじめよう。先はまだまだ、ぼくらの辿った経路と同じでひたすら長い。次にぼくは、ぼくらの住む収縮する国についてお話ししたい。ぼくらのクニは、星とか火とかと感情とかと同じように生命体そのものだ。なにかに嫌気がさしたのか、自然の動きそのものなのかはわからないが、ぼくのクニはある時から外との接触の一切を閉ざし、物理的に収縮しはじめた。

 

このクニが収縮しているのが観測されたのは、100年前にさかのぼる。その前については記録が残ってないのでわからない。それまでは外部とのつながりもあったようなのだが、歴史が書き換えられてしまったのもあって、知りようがない。唯一、政府もかき消せられなかった神話というものが残っているが、今じゃそんなの信じる人はほぼほぼいなくて、古い神話と嘲笑的に呼ばれている。

 

クニが閉じた時期を計算すると、ひいじいちゃんの生まれた頃になる。そしてぼくがひいじいちゃんになる頃にはこの世は消えてなくなってるだろうし、もしかして収縮の勢いが早まって、ぼくが生きてる間に終わるかもしれない。どうにでもなれだ。古い神話に書かれた終末論。怒りの暗雲がこのクニを襲うであろう。

 

神話だけでなく、科学がいう方向性も大体同じ。この目に見える宇宙がビッグバンで始まったのであれば、膨張がいくとこまでいくと、やがて逆回転して収縮しはじめ、元の「無」の状態に戻ってしまうのは当然だろうと。無。なんと恐ろしい響きだろう。あるものがなくなってしまうのだ。永遠に。

 

これが自然の摂理というのなら、どうあがいても仕方ないのであきらめて泣き寝入りするしかないのだが、本当にそうなのであれば、ぼくはなぜ神さまがこのような世界をおつくりになられたのか、クレームを言わずにはいられない。

 

なぜ神はこんな意味のない世界にぼくをぶちこんだのか!

 

このフレーズは事あるごとにぼくの脳裏に浮かんできた。

ぼくはある時(10歳の時、父親が母親の着ている服に火をつけて火だるまになった時)から、無神論者になることにした。じぶんをいつも皮肉に思うのは、本当の無神論者だったら、そもそも神はいないんだから、神がいるとかいないとか語る理由もないはずだ。けれどいったん神という概念がインストールされてしまった人は、神が「いる/いない」の二項から逃れることはできない。そのとらわれから自由になった時は、大いなる「無」に戻った時なんじゃないかって思うよ。これはいわゆるぼくのカルマ。

 

 

さてそれでは、まだ語れていない重要なことは後にするとして、旅のはじまり、ぼくらの卒業式の日から話を始めちゃおうと思う。実はぼくはオーソドックスな物語の運びをグリから習った。グリはああ見えて、「誰よりも偉大な作家になる」という高い志を持っていた人なのだ。おれがこのクニの新しい神話を創る、とグリは言っていた。そんなことぼくみたいな凡人には死んでも言えない。

 

そしてその偉大な目標のために、自身が何事も体験してなきゃ意味ないということで、十代のあいだにありとあらゆる体験をするんだと、トラブルを巻き起こしまくってきたのがグリという人間だ。いろんな人に迷惑をかけ、取り返しのつかないこともおかしてきたが、すべては偉大なる神話のため、これが彼の偉大なる言い分だった。正当化してんじゃねーよ、って時々ツッコミたくなったけどね。

 

人間ってまわりの環境や影響ある人間に突き動かされて、いつの間にか変容してしまうものだと思う。それはグリと付きあってきて実感してきたことなんだけど、ぼくは元々ユーモアセンスゼロな人間だったし、皮肉とか自虐とかも言えるイメージすらない人だった。それでもほんの少しだけだけど、こうやってみんなに語れるようになっただけでも、とても大きな成長だと思っている。

 

そして今回のイニシエーションの旅を通して、ぼくは外から中からレモンみたいにギューギューに絞られまくって、ある意味でまったく別の人間になってしまったように感じてる。同じようにこれを読んでくれてるみんなにも、その人独特のイニシエーションがあると思う。もうすでに通過したもの、これから待ち受けてるもの。そうやって今までもこれからも人間って成長していくものだと思うんだけど、ひとまずよかったら、ぼくらの冒険の旅に身を浸して、この声に耳を傾けてくれたらとても嬉しく思う。そして何らか感じてもらえたらと。

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