「パターソン」ジム・ジャームッシュ/日常で昇華しきれない何か♯5人生を学べる映画

こんばんは。
Self-floweringの奥山昭弘です♪

今回の「人生を学べる映画」は、
第5回目にして、とうとうぼくのいちばん好きな映画監督
ジム・ジャームッシュを投入しようと思います!!

とっておきの選手を早めにグラウンドに投げ入れる
サッカーの監督の気分です(笑)

紹介する作品は、去年日本で公開された
今のところは最新作で「パターソン」。

ニュージャージー州のパターソン市で、
バスドライバーをやりながら、ポエムを書いている
(住んでる街と同名の)パターソン君の1週間のお話です。

「パターソン」
(2016年アメリカ)
監督/ジム・ジャームッシュ
出演/アダム・ドライバー

今回ぼくがこの作品を通して得たことは、まず

「Artとはなにか?」

ということを、今一度考えさせられたことと、
それによって、

「作家としての自分のスタンスを取り戻せたこと」

があります!!

〇映画詩人ジャームッシュのArt感

パターソンは、自分の詩を外に出そうとしません。

あくまで自分の愛する奥さんと、
自分のためだけに詩を書いています。

対称的に奥さんのローラさんは、
「あなたの詩素晴らしいから、お願いだからコピーして」
と頼み込んでいます。(^_^;)

特にコピーする気はないんだけど、
愛するローラさんがしつこく言うので、
「う、うん」という感じがとてもおかしいのですが(笑)

ジム・ジャームッシュは80年代前半に、アメリカだけどハリウッドではなく、
ニューヨークのインディペンデント界から出てきた人です。

当時も今もそうだけど、特にアメリカのハリウッド映画は、
お金にならないと意味がない商業性の強いお国柄で育ってきた文化なので、
観客を飽きさせてはならない明確なテンポの良さを持った
エンターテイメント作品が必然的にメインストリームになりました。

対してジャームッシュはどうかというと、
そういう決まったテンポとか映画の常識は無視して、
独特なゆるいリズムで、日常をそのまま見せることによって
新たなArt感覚を表現しました。

ジャームッシュの作風を表現する代名詞としては
使い古された感はありますが、「オフビート」と呼ばれてますね。

それが当時の若者の感覚と一致して
出世作の「ストレンジャー・ザン・パラダイス」などでは、
だるい虚脱感や、「どこへ行っても風景は変わるけどおんなじ」みたいな
ニヒルでユーモラスな世界観を打ち出しました。

その後、時間を経過するごとに、この日常とずれたユーモアセンスは、
どんどんアップグレードしていきます♪

ぼくは高校の時に、
「ナイト・オン・ザ・プラネット」や「ミステリートレイン」、
「ザンパラ」や「ダウン・バイ・ロー」を観て
完全にやられてしまいました!!

彼の好きなモチーフは、言葉が違くて表面上コミュニケーションが取れない外国人同志が、
言葉が通じないからこそ、心ではつながりあえるという皮肉的であたたかみがあるものです。

今回も長瀬正敏演じるパターソン市を訪れた片言英語の日本人が、
パターソンに最後のプレゼントをするという重要な役を担っていましたね。

映画を創る資金も、ハリウッドの大手の資本でなく、ヨーロッパなどから独自のルートで調達し、
自分が本当に創りたいものだけを創ってきたジャームッシュ。

ハリウッドの資本に頼ると、会社の方に映画を決める決定権があって、
勝手にいいように作品を修正されてしまいますからね。

彼のArt感は、

「Artは売れるためとか、承認欲求のために創るものではない。
あくまで自分自身や、愛する人のために創られるものだ」

というものです。

これには賛否両論出てきそうですね。

ディスカッションのテーマにするには、とてもいい題材です(笑)

一人で書く詩であればともかく、映画はお金を出して人が観るものですし、
制作も監督一人のものではなく、様々な役割を果たすみんなの力が一緒になって創る「共同作品」です。

「Artとは何か?」という問いに対しては、
十人いれば十人違う意見が出てきそうです。

それでいいと思います。

ただし創作者にはそこに裏付けとして、自分なりの哲学であり、生き方がなければいけないと思います。

ではでは、そのジャームッシュ流の哲学を、「パターソン」を通して学ばせてもらうことにしましょう!

〇詩人パターソンの世界

今回の「パターソン」もジャームッシュの多くの映画がそうであるように、
あまり大きな事件は起きません。

主人公が欲求を達成したり、問題を解決するために、
障害を乗り越えていくタイプの映画ではありません。

最後にちょっとした事件(パターソンにとってはどでかい事件ですが)
は起きますが、その他は月曜日から日曜日まで
ゆっくりとした時間が流れます。

パターソンは毎朝6時過ぎに起きて、愛しい妻の寝顔にキスをして、
シリアルを食べて仕事へ出かける。

そしていつもの仕事へ向かう道や、
ランチの時、滝の音に耳をすましながらポエムを書く。

例えばこんな感じ。

Love Poem
愛の詩

We have plenty of matches in our house.
我が家にはたくさんのマッチがある

We keep them on hand always.
常に手元に置いている

Currently our favorite brand is Ohio Blue Tip,
目下 お気に入りの銘柄はオハイオ印のブルーチップ

though we used prefer Diamond brand.
でも以前はダイヤモンド印だった

That was before we discoverd Ohio Blue Tip matches.
それは見つける前のことだ オハイオ印のブルーチップを

They are excellently packaged,sturdy
そのすばらしいパッケージ 頑丈な作りの

little boxes with dark and light blue and white labels
小さな箱 ブルーの濃淡と白のラベル

with words lettered in the shape of megaphone,
言葉がメガホン型に書かれている

as if to say even louder to the world,
まるで世に向かって叫んでるようだ

“Here is the most beatiful match in the world,
これぞ世界で最も美しいマッチだ

its one-and-a-half-inch soft pine stem capped
4センチ弱の柔らかなマツ材の軸に

by a grainy dark purple head,so sober and furious
ざらざらした濃い青紫の頭薬

and stubbornly ready to burst into flame,
厳粛にすさまじくも断固たる構え 炎と燃えるために

lightning,perhaps,the cigarette of the woman you love,
おそらく愛する女性に

for the first time,and it was never really the same after that.
初めて火を付けたなら 何かが変わる

all this will we give you.”
そんなすべてを与えよう

That is what you gave me,I
君は僕にくれた

became the cigarette and you the matche,or I
僕は煙草になり 君はマッチになった あるいは

the match and you the cigarette,blazing
僕がマッチで 君は煙草

with kisses that smoulder toward heaven.
キスに燃えあがり 天国に向かってくすぶる

パターソンの詩はとても心に沁みる。

日常のささいなところからゆったりとはじまり、
彼の心の中にあるものに火が付けられる。

彼の心は愛によって開かれ、
この愛をいつか失うのではないかと怯えている。

そこには言い知れない悲しみを知っている者の「響き」を感じる。

その極限の孤独や悲しみを知っているからこそ、
愛の音を聞ける資格と喜びがあるんだと思う。

彼は決まった時間に起き、決まった時間に会社に行き、
街に流れる音や、バスに乗ってくる想念たちや、
自分の心の声に耳を傾けます。

夕方前には家に戻ってきて、愛しい妻ローラとのおしゃべり。

嫉妬深い愛犬マーヴィンと必ず夜の散歩に出かけ、
その途中で行きつけのバーでビールを一杯飲みます。

街のあちこちにいる詩人たち。

思いが届かぬ恋人たち。

そして街のいたるところにいる双子たちと遭遇します。

そんなたくさんの不思議な「偶然の重なり合い」で編まれていくのが
この「パターソン」という作品です♪

〇詩の神様が最後にパターソンにプレゼントしたもの

以下は結末のネタバレを書きますので、よろしくお願いしますm(__)m

そんな感じで、ちょっとした出来事を重ねながら、映画は終盤に向かうのですが、
クライマックスで大変なことが起きます。

パターソンとローラが映画を観に行って帰ってくると、
床にちぎれちぎれになった紙切れがいっぱい散乱しています。

「これは??」

パターソンの長年書きためてた詩集です。

しかもローラが週末に絶対コピーしてきてって言ってたのに、
コピーしてなかった。。

パターソンは自分の詩人としての全財産を失ってしまったのです。

ブルドッグのマーヴィン君は、本当に嫉妬深くて、二人がキスをしているとブーブー言ったり、
大変困った子(^_^;)

今回大失態をしてしまったマーヴィンは、罰としてガレージに閉じ込められてしまいます。

なにもかもなくなってしまい呆然となるパターソンは、日曜の昼過ぎ
いつも詩を書く滝の前のベンチに腰掛けます。

そこにやってくるのは、詩人の日本人。
彼はパターソンで住んでいてパターソンの風景を描いた詩人「ウィリアム・カーロス・ウィリアムス」を
こよなく愛していて、そのウィリアムスが生きた街をこの目で見ようとはるばる大阪から旅行に来たのでした。

そして片言英語で会話した後、ふいに立ち止まり、
彼はパターソンにまだ何も書いていない白紙のノートをプレゼントします。

その「白紙の可能性」をもらったパターソンに、インスピレーションが降ってきて、
最後にこんな詩を書き残します。

The Line
その一行

There’s an old song
古い歌がある

my grandfather used to sing
ぼくの祖父がよく歌っていた

that has the question,
歌詞は尋ねる

”or would you rather be a fish?”
君は魚になりたいかい?

In the same song
その同じ歌は

is the same question
同じ質問を繰り返す

but with a mule and a pig,
ただしロバやブタで

but the one I hear sometimes
だが時々僕の頭の中に響くのは

in my head is the fish one.
魚の歌詞

Just that one line.
ただその一行だけだ

would you rather be a fish?
君は魚になりたいかい?

As if the rest of a song
まるでそれ以外の歌詞は

didn’t have to be there.
必要ないかのように

そして映画は幕を閉じます。

〇日常で昇華しきれない何か

ぼくは脚本や物語を創るのに、もう何十冊も創作本を読んできましたが、
その中でも1~2位を争う良書「ドラマとは何か?」という本があります。

たまたま高田馬場のブックオフで、売る本の査定中暇なのでグルグル回っていてた時に、
偶然出会ってしまった「脚本の神様」からのプレゼントです(笑)

普通シナリオ本は、目に見える現実的な技術について取り扱いますが、
この本は魂の領域まで入り込みつつ、現実の技術ともつなげます。

そこにはこう書いてあります。

「現実の日々の生活の中で、私たちは常に色々な夢をもち、
ああもしたい、こうもしたいと考えています。

しかし多くの場合、「他者」としての社会環境はそれを許さず、
実際にはああある、こうあると云うことで、
夢たちは無残にも押し潰され、圧殺されて行きます。

すなわち現実生活の中で、私たちの中には常に何かが「余り」、
鬱積して行くのです。

こうして私たちの多くは、劇場やテレビや書物にその解放を求め、
さらに少数は、自分の手で、自分の作品を作り出したいと考えるにいたるのです」

その自分の心の奥深く、理由も知れず「蠢き、溢れ出そう」とするものに耳をすませること。

そして「表現しなくてはいられない」この想いを、表現すること。

頭で考えて、人のウケを狙ったものではなく、
純粋に心の奥底から出てくるものの表現、これがジャームッシュのArt論にもつながる
「本物の芸術」と言えるのではないでしょうか!

語ってきたように、ぼくにとってはなくてはならない存在であるジャームッシュですが、
正直80年代90年代が絶頂期だったのか、
2000年を超えてからやや自分の中では落ち気味で、残念に感じてました。

「コーヒー&シガレッツ」や「リミッツ・オブ・コントロール」はかなり良かったのですが、
「ブロークン・フラワーズ」や「オンリー・ラヴァーズ」はイマイチ判定(T . T)

そんなのもあって、毎回ジャームッシュ作品は映画館で観ているのですが、
実は去年の秋は「パターソン」を観に行こうかどうか迷っていました。

しかし友達のコメントで、行きたいモチベーションが一気に高まりました!!

「綺麗な奥さんがいてすごく幸せそうなのに、なんか音楽が悲しい感じなんだよね。
これってなにを意味してるのかな?」

なんだろう?この感覚?

ちょうど秋が深まり肌寒い風が吹いてくる季節のように、
寂しさと懐かしさと暖かさが混じりあったような気持ちになりました。

ぼくが注目していたのはこの点です。

パターソンの心には、いったいなにがあるのか?

表面的に見たら、映画自体もおもしろおかしいし、
「ほんわりするいい話」で終わってしまった人もいるかもしれません。

しかし彼の心の声を聞いてみると、なにか深い悲しみの音が聞こえます。
だからこそ今のローラとの「愛の生活」が天国に感じる。

しかしそこでも埋められない「日常で昇華されることない何か」が
彼にこれからも詩を書かせるのでしょう。

作家であり詩人であるレイモンド・カーヴァーは、
「自分にはオブセッション(強迫観念)があり、それが自分を創作に向かわせ、
ぼくはそのオブセッションに声を与えている」というようなことを書いていました。

ぼくもおそらく死ぬまで創作をやめれない人種の一人ですが、
この大切なオブセッションを大切にいきたいと思いました。

〇立ち戻った作家としてのスタンス

今回も長くなりましたが、
これがぼくが冒頭で書いたこの作品を観て得たこと

「作家としての自分のスタンスを取り戻せたこと」

です。

ぼくの上には「頭の上のたんこぶ」のように、
「プロになること」「売れること」「好きなことで飯をくうこと」がつきまとっています。

それはある意味、現在の資本主義がしかける「罠」であり、「不純」だと思う(笑)

「売れなきゃ意味がない」というわけです。

もちろん上記はアーティストにとって、大きな報酬です。

また逆の考え方の人もOKで、売れるために外に出て磨かれるからこそ、
逆に魂の深いところにたどり着くというルートも絶対あると思います。

でもそれに惑わされることなくぼくはいきたい。

自分の描きたいことを描けばいいという、
アーティストとしての出発点にこの映画は戻してくれました。

売れるかどうかなんて分かったもんじゃないし、上がってもどうせ落ちます(笑)

それであれば、そんなものに影響されず、自分の芸術を磨いていこうと思いました!

これから書くぼくのグリとグラのお話「イニシエーション」も、
自分の浄化のために書いてこうと思います。

そして「ぼく」という間を通して開かれたすべての人たちへ。

そんな感じで今回のブログを終えようと思います。

まだまだ「人生を学べる映画」続けていきますね♪

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