「脳内ニューヨーク」チャーリー・カウフマン/自我の殻を超えるということ♯4人生を学べる映画

こんばんは!
Self-floweringの奥山昭弘です。

今回も「人生を学べる映画」ブログ、始めていこうと思います^^

今回チョイスした映画はこちら
↓↓↓

 

「脳内ニューヨーク」
(2009年アメリカ)
監督:チャーリー・カウフマン
出演:フィリップ・シーモア・ホフマン

少しマニアックな路線ですね。

タイトルからしても、脳の中にあるニューヨーク?という感じで、インサイドな香りがします。

拡大した自我

なぜまたこの作品を選んだかなのですが、ズバリこの映画が「拡大した自我」を描いた作品だと思ったからです。

体の中に自我という中心点を持ったぼくらは、必然的に外の環境とぶつかり、悩み苦むようにできている。

「思い通りに生きたい」という自我の願いとは裏腹に、
「そうはいきませんよ」とぶつかってくる無慈悲な現実。

その中で

もがき苦しみ突破してくことを通して成長していく

のが、客観的にみた人間構造です。

ですが、人というのは基本そんなに強いものではありません。

ひねくれて自分の殻に閉じこもってしまうこともしばしばです。

特に逃げ場がいたるところにある現代社会では、ある意味普通のことと言えるでしょう。

ぼくも心が痛いところです。

その弱さを包み隠さずさらけ出して、体現してくれてるのが、この作品の主人公ケイデン・コタードです。

太っちょでうじうじしているケイデンは、魅力的とはいいずらい人物です(笑)

しかしなぜ彼の人生を観て、感動してしまったのでしょう?

それは「ぶざま」ながらも、なんとか目の前に起きている状況を把握しようと、
彼があきらめず(またはあきらめさせてもらえず)表現し続けたからだと思います。

そしてずっと長い間彼を「見て見ぬふり」をして放置してるかと思ったら、最期になって無慈悲に襲ってくる現実。

そのある意味滑稽で悲惨な姿を見て、ぼくは他人事には思えず、
自分が命のタイムリミットまで、なにをどのように体現していくのか考えさせられた次第です。

わかりづらい変わった作家チャーリー・カウフマン

ということで、まずは作家のチャーリー・カウフマンの紹介からはじめようと思います。

カウフマンは脚本家からキャリアをスタートした人で、1999年の「マルコビッチの穴」の奇抜な発想で一躍有名になりました。

きっとかなりの妄想家だと思います(笑)

ぼくも負けず劣らずの妄想家認識がありますが(汗

しかしただの妄想家で終わらず、ちゃんと形にする力を持っているのが彼のスゴイとこだと思います。

その後何年か、スパイク・ジョーンズや、ミシェル・ゴンドリーなど、
音楽PVから映画監督になったセンスある人たちの素晴らしい作品の脚本を書きました。

観たことがある人は分かると思いますが、とても入り組んだ変わった映画を作る人なんです。

そしてせつなの中で、今までに観た映画ベスト3に入る大・大・大好きな作品で、
耐えるに耐えらない愛している人との失恋の記憶を手術で消そうとする姿を描いた
エターナル・サンシャインの脚本を書いてるのもこのカウフマンです。

というところからも分かる通り、なんかこの作家さんは、
ぼくと人生で持っている「テーマ」のようなものが似通ってるとこがあるんですね。

うまく言えませんが、それは普通にいったらあまり喜ばしく思われない性質、
後悔がましいところだったり、この映画のテーマでもある
「拡大したエゴ」だったりすると思うんです。

カウフマンの作品はとにかく難解で、わかりづらいのが特徴ですが、
逆にその現実だか虚構だかわからなくなってしまうところだったり、

もしかしてこの話ってこういうこと言ってるの??

と思わせるような、多重構成になっているのが魅力でもあると思うんですよね。

デヴィッド・リンチや、タランティーノなど、時系列がぐちゃぐちゃになっている作品とか好きな人はハマると思います。

「えっ??」って世界観をズラされるような感じ。

僕も大好きです♪

自分という妨害者

ちなみにですが、せつなも初期にはよくこういう多重構成のわかりづらい作品を書いていました(^_^;)

意識の流れというそのまま連想の流れにまかせて書く手法があります。

これが創り手にとってはとても面白いんですよね。

何かがトリガーになって、魅力的なイメージがどんどん頭に流れていくのですが、
この流れがどこにたどり着くのか終わってみないとわからない。

無意識とのコミュニケーションといった感じです。

しかし作品と言うのは、人に見せるものですから、つじつまがあわなかったり、回収できない伏石があったりすると、後で怒られます(^_^;)

難しいものをシンプルに書くのも熟練さが必要ですし、逆にシンプルなものを多重構成で書きこなすのも高度な技術がいります。

また面白いことに、書き手はじぶんに正直にまっすぐストレートに表現しているつもりなのに、
いつの間にかぐにゃぐにゃ曲がって、いろいろ付け足してしまって、じぶんでもなにを書いてるやら分からなくなるんですね。

「分ってほしい」と前に向かって書いてるつもりなのに、
「分かってたまるか」というもう一人の自分に妨害されてる感じ。

この作品の主人公のケイデンも、ちょうど同じように見えます。

ぼくが思うにはカウフマン自身も自己表現が苦手で、伝えたいことが山ほどあるのに、
自分の中の何かが邪魔をして、曲がって入り組んだ形でしか表現できないと思うんですね。

因数分解すると、伝えたいことはごくごくシンプルだと思うのですが。

それでも曲がりくねったカウフマンだからこそ、描けたのがこの作品だと思います。

意味不明から傑作に

この作品を初めてみたのは5-6年前だと思うのですが、一番はじめこの作品を観た時は、なにがなんだかわかりませんでした。

せめてもう少し分かりやすく、現実と幻想の線を分けてほしいとか思いました。

しかし今年になって、ぼくの大好きな映画評論家の町山智浩さんの「ムダ話」という音声コンテンツで、この作品のことを解説していたんですね。

それでようやくこの作品の表現してることが、一気に見えた!

実際あの町山さんでさえも、はじめはこの映画わからなかったそうです。

それが今回カウフマンの新作を観たり、ヒントになる作品から読み取って、だんだんわかってきたみたいなんですね。

意味不明から傑作に上昇した「脳内ニューヨーク」

それではまた前置きが長くなる前に、あらすじをはじめてまいりましょう。

あらすじ

以下、ネタバレ含みますので、よろしくお願いします。

簡単にいうとこの物語は、

「慢性的な孤独という問題を抱えた主人公が、
本当の自分を投影させた演劇作品を創ることで、
問題を解決しようとするお話」

と言えると思います。

まず主人公はニューヨークに住むケイデン・コタードという名前の、舞台の演出家兼劇作家をやっている男です。

彼はなにか原因不明の神経障害におかされているんですね。

彼はどうも人生を悲観していて疲れ切っている様子で、頭の中から「死」が離れない。

彼が演出する舞台(セールスマンの死)は高評価を受けるのですが、奥さんのアデルには「所詮他人が書いた作品でしょ」と一掃される。

そんなウジウジケイデンは、映画のはじめの方で、アデルと4歳のかわいい娘オリーブに捨てられてしまいます。

彼はまた劇場のチケット売り場で売り子をしているヘイゼルにも、好かれていて誘われてるのですが、
こちらにもどっちつかずでなかなかラインを越すことができない。

やっと誘いに乗ったと思ったら、ベッドでアソコが役に立たず、ヘイゼルにも嫌われてしまいます。

神経症は激しくなり、突然痙攣を起こし始めるケイデン。

そんなどうしようもない絶望の中で彼に舞い降りてくるのが、マッカーサー・フェロー賞という賞の受賞です。

これは実際にアメリカに「マッカーサー財団」という団体があるそうで、そこで「この人は才能がある」と認められた人に、無償でなんと何千万というお金を、寄付してくれるみたいなんです。

うらやましいかぎりですよね!

その巨額のお金を手に入れたケイデンがやろうと決めたのは、彼の頭の中にある「脳内ニューヨーク」を、
そのまま外の世界に演劇としてアウトプット(表現)して、描いてしまおうとする企画なんです。

こうして彼は芸術家として、

本当の自分を投影させた演劇作品を創る

ことを決断します。

奥さんのアデルに批判されたのが悔しかったのもあるのでしょう。

ケイデンは多額のお金を使って、倉庫のようなところを借りて、そこに実物大のニューヨークを再現します。

そこで「死」をテーマにした作品の稽古を、役者たちとはじめます。

その内の一人クレアとは、簡単に恋におち、簡単に結婚し、簡単に子供を産みます。

しかしまるでアデルの時の結婚を繰り返しているよう。

二人の間に生まれた子供の名前も間違え、ドイツにいるアデルとの娘オリーブを追いかけて行ってしまう始末です。

そんな中断がありながらも、舞台稽古は進みます。

お話の内容は、実際の彼の身の回りの日常のお話。

それを忠実に再現していこうとするんです。

しかし困ったことに、それが何年も何年も続くんですね。

しまいには17年経っても上演されず、役者は煮えくりかえります。

きっとケイデンは単純に、外から俯瞰して自分自身の人生を観たかったんだと思うですよね。客観的に。

後半になると、現実と虚構がかなり交じり合ってきて、なにがなんだかわからなくなってきます。

ケイデンを20年も追い続けてきたというサミーという男が現れ、作品の中のケイデン役を演じることになって、
現実のケイデンと同じように奥さんのクレアを追い回したり。

それをリアルだからといって、ケイデンが容認して、クレアが出て行ってしまったり。

ケイデンが、なぜか昔の奥さんアデルのルームサービスに間違われて、一晩中アデルの部屋の掃除をしていたり。

さらには一度はケイデンの元を離れて結婚したヘイゼルが、ケイデンの助手として雇われて、作品の中にもそっくりさんの
ヘイゼル役が出てきたり。

ケイデンとヘイゼル役がやっちゃったり。
ヘイゼルとサミーとケイデンの間に、三角関係が起きたり。

そんな感じでいろんな事件が重なり、ケイデンもヘイゼルもどんどん歳を取っていき、状況に追い込まれます。

それでも舞台稽古は中断しません。

やっとおじいちゃんおばあちゃんになって素直になってきたケイデンとヘイゼルがくっついたと思ったら、
それに心を痛ませたサミーが飛び降りて自殺してしまいます。

ぼくはずっと君を見ていた。でも君は一度もぼくを見てくれなかった

と言い残して。

さらにヘイゼルもケイデンとひとつになった翌日、火の燃える部屋で灰を吸って亡くなってしまいます。
(ものすごくロマンチックなシーンです)

死ぬ死ぬ言っていて、結局最後まで生き残ってしまったケイデン。

もう何十年も終止符を打つことができない舞台に、救世主が現れます。

エレンというルームサービスのおばちゃんの役をやっていた女性です。

彼女が舞台の中のケイデン役をやることになり、いわば「演出権」を乗っ取られる形になります。

このおばちゃんがものすごい演出を始める。

舞台の中で牧師がケイデンに向かって語りはじめる。

いつかいいことがある、いつか愛されると、
人は転機を待つことで生の時間を無駄に過ごすけど、
そんなものいくら待っても本当には来ないんだ。
運命は自分で作るもんなんだ

図星をつかれ、創造性がつきたケイデンに、掃除のおばちゃんエレン役をやってみたらの提案があり、
ケイデンははじめて自分以外の役を演じることになります。

そこでケイデンは初めて悟り知る。

孤独なのは自分だけじゃないこと、みんないろいろ悩み苦しみを抱えていて、必死で生きていること。

はじめて孤独だ孤独だ言って、自分のことしか見えてなかったケイデンが、自我の殻の向こうを垣間見ます。

また最後に変な展開になって、もしやこのお話はエレンの想像というオチ?
という可能性も見えてきます。(実際は分かりません)

しかし物語は最後のクライマックスに突っ込んでいきます。

年老いておじいちゃんになったケイデン。

もう残された時間はない。

彼が倉庫に創った脳内ニューヨークは、いまや廃墟となっています。

そして最後に会ったエレンのお母さんの肩に頭を預けるケイデン。

時刻は7:45。

映画の初めから1分しか経っていません。

そしてエレンの演出の合図によって、ケイデンは目を閉じ、彼の一生は幕を閉じます。

マズローの五段階欲求

いかがでしたでしょうか?

プロットがかなり複雑になっていたり、ケイデンやヘイゼルや横文字の似たような名前が続くので、
分かりづらかったかもしれません。

まだ観てない方は、是非ご自身の目で目撃いただき、感じてほしく思います。

一応この映画はコメディーに分類されます。

TSUTAYAでもコメディーのコーナーにおいてありました。

まあ、笑えるところも多数ありますが、純粋な意味ではなかなか笑えないですけどね。

自虐的な笑いといいますか。

有名な心理学者マズローの「五段階欲求」というものがあります。

人間は低次の欲求からはじまって、ひとつずつ満たされるごとに、高次の欲求に移っていくというものです。

下から順に、

・生理的欲求
・安全の欲求
・社会的欲求/所属と愛の欲求
・承認欲求

食事・睡眠・排泄などの最低限の欲求が満たされれば、外の脅威からの安全を求めるようになり、
それが満たされば人間社会でのつながり、そして集団の中で価値ある存在として承認されることを
段階的に求めていきます。

はじめの4つの欲求を「欠乏欲求」といいますが、現代の先進国の人々は、だいたい1~2はクリアしていて、
3~4にいると言われます。

特に「承認欲求」は大きいですね。

ケイデンも「孤独だ。愛されたい」と3~4でもがいていました。

ぼくも孤独で、愛されたいです(^_^;)

しかしその先があります。

それが自己実現欲求

人によって形が違いますが、現代人の強い欲求です。

ぼくが作品を創るのも、もちろん社会的欲求や承認欲求も入っていますが、
「自己実現欲求」がベースになっています。

ケイデンが「自分を投影させた作品を創る」動機も同じでしょう。

自我の殻を超えるということ

ぼくが語りたいのは、実はその上です。

自己超越欲求

自我の自分の殻を超え、本当の自分に戻りたい。

「本当の自分」とは、形のないものですのでうまく伝えられませんが、
限定された自我を創った「あるがまま」「そのもの」「今ここ」「永遠」「無=有」「全体」
といった抽象的な言葉で語られるいわゆるサムシンググレートというやつです。

とにかくよく分かりませんが、自分を超えて「ひとつになりたい」とか、
「BIGになりたい」とか、「戻りたい」とかいう欲求はありませんか?

ぼくはこの欲求とても強いです。

もちろん肉体を持った人間ですが、なにか大きな「広がり」のようなものを感じます。

そしてそれは普段の日常で、目に見えるものにとらわれてる状態ではあまり見えませんが、
有限と無限の間、そう「死」の瞬間を迎える時、チラッと垣間見えると思うんです。

しかし大抵の場合、生きてる間はケイデンのように、
自分を守って正当化することで精いっぱいで、自分の魂の本当にやりたいことなど
耳を傾ける余裕などありません。

タイムリミットがきて、体から自由になった時、はじめて体感するのでしょう。

「ああしておけばよかった」

「こうしておけばよかった」

「もっと冒険すればよかった」

「愛する人に愛してると伝えたかった」

そしてその後悔の想いを胸に、もう一度やり直したい意志が芽生え、
チャンスがきて輪廻するのかもしれませんね。

ぼくがこの映画を観て感じたことは、
今肉体を持って生きてる今のうちに

本当にやりたいことをやりたい!

人を愛したい!

飛び出したい!

飛び越えたい!

というようなことです。

 

ケイデンが体を張って、その姿を見せてくれたと思いました。

ぼくにとってケイデンは本当に愛しいバカな奴です。
(そしてヘロインのオーバードーズで亡くなった故フィリップ・シーモア・ホフマンも)

彼は人生の最後で、それを悟り知りました。

しかし現代の人間の多くが、それを死ぬ間際ではなく、
生きてるうちに体感して実現していくことができるようになるのでしょうね。

しかし言うは易しで、体の中心に自我を持ったわたしたちはそう思い通りにいきません。

先に言ったように、何よりも自分自身が自己実現、自己超越の邪魔をします。

意識と無意識の統合は、一筋縄ではいきません。

しかしすべてのものに意味のないものはなく(逆に言えばすべて意味がありませんが)、
こうやってすべてのストーリーと同じように、互いをぶつけて上昇するそれ自体が、ありえない冒険なのだと思います。

ぼくももがいてます泣

なんでこんなにうまくいかないんだろう?
おれが悪いのか?
愛するより、愛されたい欲求が強くて、
自我を超えられないおれが悪いのか?
40を超えても子供のままのおれが悪いのか?
あいつもこいつも大嫌いで、人間嫌いなおれが悪いのか??
うわー、自由になりたい!!

などと普通の人間を演じて生きています。

しかしその向こう側が見えてからには、魂に従って進んでいこうと思います!

しかも今までみたいに自分を律するようなやり方ではなく、そのままの自分を愛して。

他人を演じるということ

今回嬉しかったのが、ケイデンの解決方法が「他人の役」を演じるという方法だったことです。

ぼくも長年役者をやってまいりまして、こういった癒しの力は大いに感じています。

自分を超えられるんですね。

たとえ想像でも、たとえ芝居でも。

結局自分と言うシチュエーションを生きるしかない人間は、
別の可能性を生きてみたくなるものです。

そしてそのことを通して、共感能力、おもいやりなどを育てていくのでしょう。

自分だけが苦しんでると思ったら大間違いだし、
自分だけがすごいと思っても大間違いなのです。

想像だけでも人間は立場チェンジをすることができますが、
実際に自分の肉体を使って演技してみると、よりよく他人を実感できます。

自分であり、他人であるこの不思議。

いきなり宣伝につながってしまいますが(笑)、
ぼく一昨年から心理療法的な演劇ワークショップをオーガナイズしておりまして、
今一時中断してますが、今年末からまた再開したいと思っています。

やる時は「お知らせ」のとこで載っけますので、ご興味がある方はご参加くださいませ。

それでは今回は、自己超越を学ばさせてくれた「脳内ニューヨーク」をご紹介しました^^

またまた「人生を学べる映画」を追及してまいりましょう!

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